2013年10月08日

神代記簡略

古代史はディープな世界である。
諸氏諸兄の労作、数多の書物が存在し、その深奥ゆえ、様々な解釈がある。

日本の歴史を述べた第一級資料は、日本書紀や古事記となるが、日本書紀は天皇、朝廷の歴史そのものであり、いわゆる王道の歴史となる。古今東西そうだが、王道の歴史は勝ち組の歴史であり、それは美化され英雄史となる。一方、古事記はむしろ敗者の記述であり、より史実に近いものではないかと思われる。

聖徳太子以前の歴史は、ほぼ神話となる。イザナギ・イザナミ、天照大神、ツクヨミ、スサノオ、天孫降臨ニニギ、神武東征・・・
仏教を導入したのは聖徳太子であり、それ以前は神道国であった。
まつりごとは神道に則り、天皇は神道の最高位、権化となる。ただ、複雑な神道形式で運営するのは、聖徳太子以降であろう。

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その昔の日本には、縄文からの土着民(ネイティブ・ジャパニーズ)がいた。彼らだけでは文明は遅々として、進まなかっただろう。
渡来人が大挙した流入により、民族紛争が起きたが、まだまだ朧だが国として礎のようなものができた。

京丹後、山陰、北九州には多くの神話の形跡が残っている。日本本土を地勢的に捉えると明らかなことなのだが、この地域は、朝鮮半島、中国、その他海からの渡来に最も近いところだ。
古代朝鮮半島南東部にあった「新羅」や南西部の「百済」から近い。

おそらく、「新羅」からは丹後半島や山陰へ、「百済」からは山陰や北九州に渡ったのだろう。
稲作など、新しい文化を運んできた渡来人を見た土着民は、彼らを神と思ったことだろう。
そこで交配や融合が生まれたことは容易に察しがつく。元来の信仰と渡来人の信仰が結びついて、神道が生まれたと思われる。

山陰では、出雲となり、北九州では邪馬台国となった。
やがて、出雲の国譲り、神武東征、高天原となって、ヤマト王権に集約されることになった。
あとは、おおよそ有史といえる史実どおりである。日本書紀は脚色が多いので、そこは差し引いて。

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2013年10月05日

ジビエの話し(熊)

今は空前のグルメブーム。人の食への探求はとどまること知らない。
人間健康であれば、否、少々不健康であったとしても、食べることに興味がない人はおおよそいないだろう。

人はオーソドックスな献立に飽き足らず、奇食というべきか、未知の味を求めるようになった。
そこで登場したのが、ジビエである。これはフランス語で、狩猟によって捕獲された野生の鳥獣を食材にすることである。

ジビエ.bmp

何もフランス語を借りなくても、日本には、マタギと呼ばれる狩猟集団がいた。
秋田のマタギが有名である。

ここで少し本題からそれるが、古代の日本というものをあくまで私的に、ざっくり想像してみる。
縄文時代、日本全土は狩猟生活一色であった。
やがて、渡来人が流民してきて、弥生時代へと入る。

地勢的に、海を渡ってやって来た渡来人は、九州にまず辿り着く。そして、九州に稲作をもたらした。中には山陰に着いたものもいただろう。
これが、高千穂、出雲神話になっていく。邪馬台国もできた。
それがやがて、神武東征となって近畿に向かう。そして、ヤマトが建国されることになった。

それより、以北、関東や東北は縄文のままという、遷移時代があったのだろう。
その頃の呼称は、九州は熊襲(くまそ)、近畿はヤマト、東北は蝦夷(えみし)であった。

おそらく、その後も随分長い間、東北には狩猟生活が続いたと思われる。
縄文時代の遺跡、古墳が青森や秋田には多く見られるためだ。
話しを戻すと、従って、秋田のマタギ集団は筋金入りの狩猟一族と言えるのである。

その昔はどうだったのか分からないが、東北の山に棲む大型獣といえば、熊と鹿である。猪は宮城県南部、丸森が生息北限とされる。
ひと昔前、秋田には熊がたくさんいた。もう至るところにいたそうである。

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あまりにいるので、昔の男たちの遊びとして、こんな話を聞いたことがある。河原にドラム缶を寝かせておいておく。ドラム缶の底には餌を入れ、熊がドラム缶に入ると口が閉じる仕組みになっていた。熊が入るのを茂みから確認して、閂を完全にロックして、そのドラム缶を川の深みに沈めて殺すという。

マタギは山の神である熊を崇める一方、生活の糧として殺した。
熊の胆のうである熊の胆(くまのい)は、高値で買い取られた。特別のルートがあって、買取先は富山か新潟あたりとされる。
大きい熊のであれば、100万にもなったというので、一冬は遊んで暮らせたそうな。

熊から得るところは、熊の胆、毛皮、脂肪、肉と、すべてを無駄にしなかった。
だが、現在では、肉を食べるものは少ない。一部の奇食グルメ家だけである。
とても旨いとは言えないからだ。

次の法則を覚えておくといいだろう。
植物や穀物を食べる草食動物の肉は旨い。他の動物を殺して食べる肉食動物の肉は不味い。
牛、鹿、馬、豚、鳥は旨いが、熊や狼、その他肉食獣は不味いのである。猪は中間にいて、なんでも食べる雑食のため、肉の臭みがあるが旨いとなる。

熊も雑食だが、肉はとても臭い。鼻が曲がりそうになって、とても食えたものではない。
脂肪は無臭なのだが、肉は悪臭を放つ。
興味深い話もある。熊も時期によっては臭みが違うというのである。

養鶏場を襲って、鶏を食った肉は臭くなかったと。
逆に、家畜の飼料や山の山菜含む植物ばかり食べているのは、とても臭かったという話しを聞いたことがある。

最後に、ジビエを試すのもいいが、ウィルスを持っていることもあるので、しっかり加熱処理をして食すことをすすめる。

タグ:ジビエ
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2013年10月03日

神器について

勾玉(まがたま)というものをご存知だろうか。
形状から、曲玉とも書く。

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材質も様々で、翡翠(ひすい)が最高とされる。
この奇妙な形は一体何なのだろう。諸説ある。

例えば、動物の牙で作った牙玉を基とする説、胎児の形を模したとする説、魂の姿を象ったとする説、巴形を模したとする説、月の形を模したとする説、形そのものに意味があったとする説、破損した耳飾を再利用したとする説、魚(稚魚)の形を模したとする説などである。

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だが、勾玉自体なんなのか、諸説あるが、結局よく分からないのである。
過去、膨大な数が出土している。縄文時代のものもある。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国女王から魏への進貢として贈られたこともある。

神事や祭事に使われた形跡があるので、神につながる何かであることは間違いなさそうである。
ここで想像力を働かせようと思う。

当然、この独特の形には意味があるのだろう。
そしてそれは何か。

この形は、古代ヘブライ文字(ヘブル)で、“ヤ”という意味である。
“ヤ”は、ヘブライの唯一神、ヤハウェである。
つまり、神をあらわす形だったのではないか。

古代史の話しになると、時折、ユダヤが顔を覗かせる。古代にユダヤ人の流民があったのではないかということ。
そうすると、途端に眉を寄せ、眉唾として一蹴されるが、一考する価値が少なからずあるのではと思うのである。

余談だが、京都に八坂神社という宮がある。
主祭神は、素戔嗚尊 (すさのおのみこと)。
ヤサカというのは、古代ヘブライ語で、神を知る、見るという意味である。

タグ:勾玉
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